武将名鑑【信長の野望 新生(パワーアップキット)】
藤堂高虎(とうどうたかとら)
![武将名鑑アイコン](http://35.77.241.178/img/common/samurai.png)
藤堂高虎(とうどうたかとら)
藤堂高虎 の能力値 | |||||
---|---|---|---|---|---|
統率
![]() 出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
82 (114 位) | ||||
武勇
![]() 出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
80 (141 位) | ||||
知略
![]() 出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
88 (42 位) | ||||
政務
![]() 城の収入に影響する。 |
88 (40 位) | ||||
合計 | 338 (36 位)2201人中 |
![藤堂高虎のグラフィック画像](https://img.nobunaga-kouryaku.com/img/shinsei-pk/shinsei/samurai/1355.jpg)
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
誕生年 | 1556年 | 徳川家康ほか7人の主君に仕え、主君を変える度に知行を増やし、伊勢安濃津32万石を領す。合戦では常に先鋒を務め奮戦、また多くの城の普請を担当した。 | |||||||||
死亡年 | 1630年 | ||||||||||
主義
![]() 革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
革新 | ||||||||||
特性
![]() 武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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築城名手 | 増築可能な城下施設をLV2で新規建設可能 | ||||||||||
乾坤 | 戦場で積極的に退き口・城門・本丸を襲撃 | ||||||||||
城乗 | 敵城への耐久ダメージ増加 | ||||||||||
戦法
![]() 合戦で使える特殊な技。 |
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決死の心得 | 敵部隊の兵力減少 敵部隊の体力低下 | ||||||||||
主義
![]() 革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
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堅城普請 | 城の耐久上限増加 金銭収入減少 | ||||||||||
奉行
![]() 準備中 |
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庶民心得 | 村掟が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減 |
シナリオ | |||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | 城 | ||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 未登場 | |||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 未登場 | |||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 元服前 | |||||||||
1567年8月 | 天下布武 | 元服前 | |||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 15 | 小谷城 | ||||||||
1572年12月 | 三方ヶ原の戦い | 17 | 小谷城 | ||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 27 | 此隈城 | ||||||||
1591年10月 | 天下無事ならず | - | 雑賀城 | ||||||||
1600年7月 | 関ヶ原の戦い | 45 | 宇和島城 | ||||||||
1614年8月 | 大坂の陣 | 59 | 安濃津城 |
藤堂高虎が登場する合戦
-
冠山城の戦い [織田信長の中国平定]
1582年4月14日 ~ 25日
岡山県岡山市北区下足守
天正10年(1582年)3月、播磨姫路城を出陣して備前岡山城に着陣した羽柴秀吉は、備中高校城の清水宗治を勧降するが拒否されてしまう。
これにより高松城攻めを決めた秀吉は、秀吉率いる織田勢2万と宇喜多忠家率いる宇喜多勢1万で、4月14日、高松城の支城である備中冠山城を包囲した。
このとき城主・林重真は、清水宗治の娘を娶っており、備中半国を与えるという恩賞の約束を断ったという。4月25日、城内から出火し、たちまち燃え広がって冠山城は混乱に陥り、織田・宇喜多勢の総攻撃もあり落城。
一番乗りを果たしたのは当時21歳の加藤清正で、毛利方の竹井将監を討ち取り、藤堂高虎も竹本幸之助を討ち取っている。城主・林重真が自刃し、城兵300余が討死した。
-
八尾の戦い [大坂夏の陣]
1615年5月6日
大阪府八尾市一帯
南下する徳川本隊を攻撃するべく木村重成とともに大坂城を打って出た長宗我部盛親は、八尾に布陣しました。
徳川方の先鋒である藤堂高虎は、一隊で若江の木村重成を牽制しつつ、主力をもって長宗我部隊を攻撃します。
藤堂勢の中備を務める藤堂高吉は萱振村に進んできていた長宗我部勢先鋒・吉田重親を攻撃します。吉田は本隊に対し攻撃を受けている旨を伝令し、応戦したが壊滅し吉田は討死。
藤堂勢の左先鋒の藤堂高刑・桑名吉成らは道明寺へ向かう先頭にあったが、転進して玉串川を越え長瀬川の長宗我部盛親本隊に迫ります。
藤堂高虎の旗本の藤堂氏勝もそれに続きます。吉田の知らせをうけた長宗我部盛親は、騎馬武者もすべて下馬させ、槍を持たせて長瀬川の堤防の上に伏せさせ迎撃の体勢を取った。
藤堂勢が充分近づいたところで一斉に立ち、槍を入れさせたため藤堂勢は壊乱し、藤堂高刑・桑名吉成は戦死、藤堂氏勝は致命傷を負い退却中に死亡します。
藤堂高吉も来援するが、長宗我部勢に圧倒され撃退。
旧主と戦った中内源兵衛も討死し、260余を討ち取られた藤堂勢は窮地に陥る。正午頃まで戦闘は続くも、若江の木村重成の敗報が届いたため長宗我部勢は孤立を避けるため坂城へ撤退を始めます。
藤堂勢は追撃し、殿を務めていた増田盛次を討ち取った。
-
岡山口の戦い [大坂夏の陣]
1615年5月7日
大阪府大阪市生野区勝山北・南一帯
徳川秀忠 (36)
前田利常 (22)
本多康俊 (46)
本多康紀 (36)
片桐且元 (59)
井伊直孝 (25)
藤堂高虎 (59)
細川忠興 (52)
黒田長政 (47)
加藤嘉明 (52)
立花宗茂 (48)
土井利勝 (42)
本多正信 (77)
三枝昌貞 (78)
本多忠純 (29)
WIN
大野治房 (43)
LOSE
5月7日、ついに徳川家康は大坂城に総攻撃をかける。
このとき家康は子の秀忠を岡山口の総大将としました。
先鋒は大将を前田利常とし本多康俊、本多康紀、片桐且元ら計20,000。
二番手は井伊直孝、藤堂高虎勢の計7,500と細川忠興隊。その後方に徳川秀忠の本陣23,000を置いた。
一説には一番手と二番手の間に黒田長政、加藤嘉明が参陣していたといわれる。徳川秀忠は天王寺方面の銃声を聞き進撃を開始。
このとき立花宗茂は秀忠本陣が突出しては敵の突擊を誘うため後退すべきと建言したが聞き入れられなかった。戦闘が始まると先鋒の前田勢は大野治房勢に崩され、これを支援するために二番手の井伊直孝、藤堂高虎勢が動く。
この陣立ての乱れに乗じた大野勢が秀忠本陣に殺到し、旗本先手の土井利勝勢が崩れ一時大混乱となった。そのため秀忠自身が鑓を手に取り戦おうとするが、本多正信は「大局的に見れば味方は勝っており将軍自ら手を下す必要はない」と諫め止めたという。
黒田長政、加藤嘉明勢によって敵を防ぎつつ秀忠は本陣を後退させようとしたが、立花宗茂は敵は疲態でこれ以上の攻撃できず、また後退すると士気が下がると再び建言した。
旗奉行の三枝昌吉が旗を立て直すと散っていた将兵が集まりだし、次第に秀忠軍は攻勢をはね除け反撃に転じ始めた。この間、後詰の大野治長、七手組は秀頼の出馬を待っていたが、淀殿の説得に手間取り秀頼が出馬した頃には家康・秀忠本陣に突撃した豊臣方の軍勢はすでに撃退されていた。
体勢を立て直した幕府方の圧倒的兵力と火力の前に豊臣方の陣立ては15時頃には崩れ、毛利勝永指揮の殿のもとに城内へ総退却した。
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