武将名鑑【信長の野望 新生(パワーアップキット)】
宇喜多秀家(うきたひでいえ)
宇喜多秀家(うきたひでいえ)
宇喜多秀家 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
81 (122 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
86 (60 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
67 (574 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
79 (174 位) | ||||
合計 | 313 (94 位)2201人中 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1572年 | 豊臣家臣。直家の嫡男。主君・秀吉に寵愛され、五大老の1人となるが、内乱により重臣の大半を失う。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後八丈島へ配流された。 | |||||||||
死亡年 | 1655年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
革新 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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人脈 | 遠国登用に関する具申が可能 | ||||||||||
自衛 | 自勢力内では自部隊の防御上昇 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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急襲 | 敵部隊の兵力減少 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
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武断主義 | 領内行動の集落掌握速度上昇 忠誠減少 | ||||||||||
奉行
準備中 |
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旗奉行 | 母衣衆結成の維持費削減 |
シナリオ | |||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | 城 | ||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 未登場 | |||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 未登場 | |||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 未登場 | |||||||||
1567年8月 | 天下布武 | 未登場 | |||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 未登場 | |||||||||
1572年12月 | 三方ヶ原の戦い | 元服前 | 岡山城 | ||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 11 | 岡山城 | ||||||||
1591年10月 | 天下無事ならず | - | 岡山城 | ||||||||
1600年7月 | 関ヶ原の戦い | 29 | |||||||||
1614年8月 | 大坂の陣 | 43 |
宇喜多秀家が登場する合戦
-
碧蹄館の戦い [文禄の役]
1593年1月26日
京畿道高陽市
-
伏見城の戦い [関ヶ原の戦い]
1600年7月19日 ~ 8月1日
京都府京都市伏見区桃山町
宇喜多秀家 (28)石田三成 (40)前田玄以 (61)本多正信 (62)鈴木重朝 (39)島津義弘 (65)小早川秀秋 (18)大谷吉継 (41)毛利秀元 (21)吉川広家 (39)小西行長 (41)長宗我部盛親 (25)鍋島勝茂 (20)長束正家 (44)WIN
LOSE
伏見城
慶長5年(1600年)6月16日、徳川家康は大坂城を出て山城伏見城に移動し、6月18日には守将の鳥居元忠と別れの宴を行った後、上杉討伐のため会津に向かった。
一方、大坂城の前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は、7月17日に家康が大坂城西の丸に残していた留守居役を追放して、家康に対する13か条の弾劾状を発布する。
これに先立つ7月15日の時点で、伏見城では鳥居元忠らが籠城を始めており、西軍はこれに対する攻撃の準備を行う。
7月19日、西軍の宇喜多秀家の軍勢による攻撃が本格的に始まった。
伏見城は初めは反撃して前田玄以や長束正家の屋敷を焼き払うなどするが、その後は攻撃側からの大量の鉄砲攻撃にさらされ、29日には、石田三成の4万余の大軍で包囲されてしまう。
攻め手は築山(小山)を築いてそこに大筒・石火矢を設置したり、堀を埋めるなどするが十分に防御された城は容易に落ちなかった。
しかし、孤立した城は8月1日に落城する。
鳥居元忠は鉄砲頭の鈴木孫三郎(鈴木重朝)に討ち取られ、他にも内藤家長・元長父子、松平家忠、上林竹庵ら以下800人が討ち死にした。
この戦いは9月15日に行われる関ヶ原本戦の前哨戦であり、伏見城は落城するも、少数の兵で西軍の大軍を10日以上も足止めすることで、西軍の美濃・伊勢方面への展開が大きく遅れる原因となった。
また、島津義弘と小早川秀秋は元々東軍に味方するつもりであったが、城側に入城の意思を示したときに拒否され、結局西軍に参加して城攻めに加わっている。
宇喜多秀家が登場する記事一覧
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